川渡り神幸祭

 永禄年間(1558年〜1569年)、当時の伊田村に疫病が流行した際、村の氏神である
風治八幡宮にその終息を祈願し、成就のお礼として奉納されたことが起源とされています。
以来今日まで約450年続いている祭礼であり、昭和45年には、福岡県の無形民俗文化財第1号に
指定され今では福岡県の五大祭りの一つに数えられています。
祭りは、毎年5月の第3日曜日とその前日の二日間で行われ、4月も下旬にさしかかると
各町内では、区民が一丸となり山笠点検、安全祈願、出庫、バレン切り、バレン貼り、バレン組み等の
作業が行われ、川渡り神幸祭に備えます。
祭りの初日は11台の山笠が各町内を練りまわった後、午後2時頃、風治八幡宮下〜伊田郵便局間に
集合し、一斉に幟(のぼり)旗と五穀豊穣を願う5色のバレンで装飾された鮮やかな幟山笠となって、
各定位置で静かに出番を待ちます。
神幸祭典執行の後、神輿(みこし)の出発に先立ち、「お立ちの獅子舞」が奉納されます。
雌雄の獅子のまわりを美しく着飾った子どもたちが楽に併せて舞う中、大神輿を先頭にいよいよ出発です。
JR田川伊田駅前広場で練りまわったのち、午後4時ごろ香春岳を望む彦山川畔に結集し、
風治八幡宮と白鳥神社の神輿2台を先頭に、鮮やかな幟山笠が鉦(かね)太鼓(たいこ)を轟かし11台が
お供として彦山川を渡ります。血気盛んな男衆たちが山笠をがぶり、水しぶきをあげる姿に観客は
魅了されます。
こうして川の中でひと暴れした後は対岸の御旅所へ到着、今度は「お着きの獅子舞」が奉納され、
2台の神輿と11台の山笠は、ともにその日は御旅所に泊まります。
夜には、山笠に電飾を付けライトアップされた姿を見物に多くの人が訪れ、まつりIN田川主催のイベントが
21時ころまで開催され祭りの夜を盛り上げます。
翌日は午後2時ごろより、御旅所広場でひとしきり練りまわったのち、午後3時ごろより、大神輿を先頭に
再び彦山川へ入り、前日同様の壮烈な水合戦を行ったのち風治八幡宮に戻ります。
その後、山笠も各町内に戻り、お役目を終わります。
田川市の人口は過疎化が進み今では約5万人となりましたが、この2日間では延べ10万人以上が
県内外から押し寄せ、彦山川沿いや伊田の市街地に露店が建ち並び、1年で最も活気づく時です。
絢爛(けんらん)豪華な川渡り神幸祭が終われば、筑豊では初夏を迎え、この祭りの終了を
合図とするかのように、農家の苗代づくりが始まります。
 
 我が大通り地区も、山笠が無い時代が長く続いていましたが、昭和54年より川渡り神幸祭に参加し、
今では地区の大イベントとなりました。
 
[大通りの歴史]
・ 昭和54年−夏吉から山笠を拝借し川渡り神幸祭に参加  
・ 昭和55年−初代山笠を製作(小池保 作)
・ 平成5年 −川渡り神幸祭当番区担当
・ 平成15年−2代目山笠を製作(田丸泰博、武 父子作)、川渡り神幸祭当番区担当
・ 平成16年−鉦、太鼓を新調
・ 平成20年−30周年を迎える
 
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